山行日:2010.1.10
目的地:子の権現から前坂の尾根
コース:小殿(8:30)~(9:10)竹寺(9:45)~鐘撞き堂(10:00)~豆口峠(10:30)~(11:00)子の権現(11:30)~(12:00)六ッ石の頭(12:20)~墓地(13:00)~車道(13:10)~前坂(13:30)~吾野駅(14:00)
目的地:子の権現から前坂の尾根
コース:小殿(8:30)~(9:10)竹寺(9:45)~鐘撞き堂(10:00)~豆口峠(10:30)~(11:00)子の権現(11:30)~(12:00)六ッ石の頭(12:20)~墓地(13:00)~車道(13:10)~前坂(13:30)~吾野駅(14:00)
またしても、腰が痛くなった。年末の大掃除の影響か。今回は、本格的な痛みに進行する予感がする。腰が痛くても、家でゴロゴロしているわけにはいかない。余計痛くなるから。だから、少しやさしめのコースに出かけよう。昨年途中敗走した、前坂から子の権現を歩いてみよう。ただ、コースはより、楽そうな逆コースにして。
飯能で、名郷行きのバスに乗った登山者は3組。小殿で降りたのはおいらのみ。ここまでの電車、バスで腰へのダメージが蓄積していた。バス停前のベンチで、ぐずぐずとタバコを吹かす。
車道を少し進むと、「竹寺→」の標識があり、杉林を登る。「熊出没」の看板あり。おととしの2月に出たそうだ。雪が無ければ冬眠しないのだろうか。
尾根を絡むように薄暗い杉林を登る。歩き出すといくらか腰が楽になった。
明るくなったかと思ったら、「仁多山」分岐だつた。ここから、すぐに、竹寺の建物が下に見えた。
車道を少し進むと、「竹寺→」の標識があり、杉林を登る。「熊出没」の看板あり。おととしの2月に出たそうだ。雪が無ければ冬眠しないのだろうか。
尾根を絡むように薄暗い杉林を登る。歩き出すといくらか腰が楽になった。
明るくなったかと思ったら、「仁多山」分岐だつた。ここから、すぐに、竹寺の建物が下に見えた。

竹寺到着。別名、八王寺。想像していたより、なかなか良い雰囲気をかもし出している。

ふむふむ。もう少し、詳しい由緒書きが欲しい。

本殿正面。牛頭天王を祭る。

今回は、裏側より境内に入ったので、順路は逆となる。

牛頭天王像

境内には、立ち木彫りのトーテムポールが散見される。いずれも異常なデザイン。

巨杉が祭られていた。
コンパクトではあったが、なかなかの寺であった。鐘の音がする。鐘撞き堂はなかなか見つからなかった。

鐘撞き堂は山の上にあった。鐘を撞くと、予想外の大音響が響いた。いつまでも響いていた。
長居をしすぎた。子の権現に向かう。
山を巻いたりして、たいした登り下りは無い。遠くから鐘の音が聞こえてきた。子の権現の鐘の音だった。
山を巻いたりして、たいした登り下りは無い。遠くから鐘の音が聞こえてきた。子の権現の鐘の音だった。

おきまりの子の権現の大わらじ。人だらけで、人なしで写真が撮れたのは奇跡的。

子の権現本堂まえ。お年寄りが多い。家族連れも多い。兎に角人だらけ。
人が多いのですぐに去る。が、茶屋に入り甘酒を飲む。人は多いのだが、茶屋に入る人は居ない。不景気ですね。昨年から、甘酒党になっているのだ。
ここまで、「関東ふれあいの道」。「関東ふれあいの道」で、心の通った人とのふれあいを感じたことが無いのはおいらだけだろうか。

子の権現駐車場下に目指す尾根道があった。あの白く見える採石場の裏が前坂だろうな。遠い。
ここからは、予想はしていたものの、あまたの頭峰を越えていく。ただ、巻き道も多くあり、助かった。
小さな山頂にも、地図に記載の無い山名が記されていた。
小さな山頂にも、地図に記載の無い山名が記されていた。

ちょうど12時となり、ここで握り飯2個を食う。
何故か、風が強くなる。寒いのですぐ出発。
20人のグループとすれ違う。彼らいわく、「今日はじめて、人とすれ違った。」と。おいらは、「子の権現の人の多さ」を口にせず、黙ってすれ違った。
20人のグループとすれ違う。彼らいわく、「今日はじめて、人とすれ違った。」と。おいらは、「子の権現の人の多さ」を口にせず、黙ってすれ違った。

ようやく、採石場が近づいた。佇む池の青は、毒の色?石灰工場のプールに良くある色だ。
一旦、車道に出て、竹林に入ると、前坂にあっさり着いた。年末に敗走した地点だったが、すでに記憶が定かではない。
吾野駅はここから近かったはずだ。
吾野駅はここから近かったはずだ。
あつさり、吾野駅到着。
列車を一本見送って、茶店で蕎麦を食いビールを飲む。
すっかり、腰は癒えていた。
列車を一本見送って、茶店で蕎麦を食いビールを飲む。
すっかり、腰は癒えていた。
それもつかの間、列車に乗り家に着くと、またしても腰が痛み出す。
明日の朝が怖い。
明日の朝が怖い。
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