つづき
御前山の朝は寒かった。5時、暗がりで目を覚ましたが、寝袋から出られない。タバコを吹かすと、便意を催し、便所に駆け込む。やたらに寒い。出すものを出し、再び寝袋へ。

6時を過ぎると、いくらか明るくなり、朝飯を食う。豚汁とロールパンという、妙な組み合わせ。

ぐずぐずし、出発は7時となった。

御前山を振り返る。今日も足は前に出ない。
大ダワで車道を横断。鋸山に登るつもりであったが、あまりの鈍足でカット。

大岳山到着。先客は1名。

残念ながら、富士山がクッキリとは、いかなかった。
二十歳頃大岳山に何度も登った。馬頭刈尾根や、鋸山が定番であった。その頃、雲取山は遥か彼方の山だったし、アルプスの山々は憧れでしかなかった。
今思うと、あのころから、殆ど変わっていないなぁと感じる。変わったことといえば、重荷に耐えられなくなったことぐらいか。
今思うと、あのころから、殆ど変わっていないなぁと感じる。変わったことといえば、重荷に耐えられなくなったことぐらいか。
大岳山を下り始めると次から次へと人が登ってくる。恐ろしいほどの人の数だ。なんか、変わっちゃったなぁ。

大岳山荘。ここには何度か泊まった。だいぶ荒れた感じがする。懐かしさともの悲しさを感じつつ、先へ進む。
コースは最短路の芥場峠へ。そこから、御岳山を目指す。長尾平入り口付近で道に迷う。道が多すぎる!
さらに人の増えた御岳神社の下を抜ける。

御岳の参道の先で、道がわからなくなり、まごつく。

日の出山の取り付きは舗装道路だった。これじゃぁまごつくわい!
日の出山などチョロイものだろうと歩くが、最後の階段でバテた。

日の出山山頂は、公園的で、物凄い数の人がいた。花見かい。それくらいの人出だ。大岳山の写真を撮って、おさらば。
しかし、バテた。その後も道の多さにまごつき、登ってきた爺さんに道を聞いた。「この道を最後まで、尾根通しに行くんだよ。」「へい!」「理想的な道なんだよ、この道は。」「何が理想的なの?」「通勤の道だからね。」「??・・・」
30mほど離れても、まだ解説してくれる。「はい、はい」と言って、先に進む。「理想的な道」とは何なんだろうか。いったい、誰が通勤しているのだろうか。片道3時間もかかるのに。頭から離れなくなった。
30mほど離れても、まだ解説してくれる。「はい、はい」と言って、先に進む。「理想的な道」とは何なんだろうか。いったい、誰が通勤しているのだろうか。片道3時間もかかるのに。頭から離れなくなった。
道はこれでいいらしい。薄暗い麻生山で昼飯とする。ここには誰もいない。足元に小さな皮製の入れ物が落ちていた。ハンコ入れかな。などと思い、中を開けてみると、口紅だった。ムムッ。あわてて仕舞い、元の場所に戻した。し~らない。
ここから道は長かった。殆ど平坦な道が延々と続く。小峰をみな巻いてくれるのはありがたいが、余りに単調。この、巻きが「理想的」なのか。

うんざりしたところで、大岩到着。巨石を祭っている。「全踏査日光修験道」によると、修験道では、しばしば巨石が信仰対象になるらしい。ここは、熊野修験道の流れをくんでいるようだ。

すぐ先に琴平神社があった。金比羅山は知らずに通過していたようだ。
琴平神社周辺は公園になっていた。ベンチでタバコを吹かせていると、犬を連れた婆さんがやってきた。
「あっちの方が眺めがいいよ。」と教えてくれた。婆さんにしては足が丈夫だ。自宅からここまで30分だそうだ。
「あっちの方が眺めがいいよ。」と教えてくれた。婆さんにしては足が丈夫だ。自宅からここまで30分だそうだ。

婆さん推薦の場所から、五日市の町を俯瞰する。確かに良い眺めだ。

久ぶりに、色物を見たような気がする。
琴平神社からはコンクリート道の下りだ。膝にこたえる。ボロボロで五日市の街中に入る。迷子となり、こわもて風のオネイさんに道を聞き、武蔵五日市駅に到着。
ビールを一本飲んで、電車に乗る。長い二日間が終わった。
ビールを一本飲んで、電車に乗る。長い二日間が終わった。
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