9/20仙人池ヒュッテの夜、同部屋だったのは3人のグループの方々だった。お二人は、このあたりに年に何回も来ていると言う精通者だった。お二人によると、今年の残雪量は平年並みとのこと。おいらが15年前に来たときの記憶では剣山荘を下るとすぐ雪渓になり、真砂沢ロッジの手前まで雪の上を歩けた。上部での雪渓の崩落はあったが、その他は安心して雪渓の真ん中を歩いたような?しかも、その時は10月に入っていてカチカチの氷だった。
お二人から、さらに、阿曽原への道が廃道になり新道ができたことを知らされた。ビックリ。なんでも「雲切新道」と言い、ハシゴ、ザイルの連続でとんでもない道との事。おいらの持っていた1994年度版の地図にはその道は無い。
3人組は剣沢を登り返し下山(?)するとの事。おいらは、予定通り阿曽原に下ってみよう。
お二人から、さらに、阿曽原への道が廃道になり新道ができたことを知らされた。ビックリ。なんでも「雲切新道」と言い、ハシゴ、ザイルの連続でとんでもない道との事。おいらの持っていた1994年度版の地図にはその道は無い。
3人組は剣沢を登り返し下山(?)するとの事。おいらは、予定通り阿曽原に下ってみよう。
9/21

今日も朝から快晴。一瞬だけ山が赤く染まった。

今日も朝から快晴。一瞬だけ山が赤く染まった。
さあ、下山だが、その前に池の平に寄らなければ。
安売りのリンゴジュース200円をポケットに入れ、空身で出発。
安売りのリンゴジュース200円をポケットに入れ、空身で出発。

仙人峠手前を行く。

仙人峠を越えるとチンネが板状に見えてくる。

チンネが高らかに。この中にクレオパトラの唇が含まれている。とてもクレオパトラの唇には見えません。

池の平を下り、平の池に行った。まだ、陽が射してこない。残念。
いつまでも居たいのだが持ってきたリンゴジュースを飲み、平の池を去る。

さようなら。もう二度と見られないかもしれない光景。

仙人池に戻り、最後の一枚を撮る。
残念だが、下りにかかる。
なぜか、うら悲しい気分だ。
なぜか、うら悲しい気分だ。
重荷を揺らしてカックン、カックン下る。多くの人々に抜かれる。沢水をカブガブ飲む。

以前より、残った雪ははるかに少ない。
厭になった頃、右手に仙人温泉の湯煙が見え、間も無く仙人温泉に着く。
大勢の人が休んでいる。見ず知らずの人に新しい地図を見せてもらう。「雲切新道」ルートをおいらの地図に書き込んだ。旧道の東隣の尾根上を行く道だった。一服後、雲切新道に入る。仙人谷を渡り、対岸の源泉に行く。
大勢の人が休んでいる。見ず知らずの人に新しい地図を見せてもらう。「雲切新道」ルートをおいらの地図に書き込んだ。旧道の東隣の尾根上を行く道だった。一服後、雲切新道に入る。仙人谷を渡り、対岸の源泉に行く。

源泉脇を通り抜ける。
ぐんぐん登り返し尾根上に出る。

尾根上からは、後立山連峰が見えた。
ようやく、下りとなる。なだらかな下りだ。と、思うのも束の間。超急斜面の下りに早変わり。ウワサどおり、ハシゴとザイルの連続だ。浮石も多いし、鎖場で足を載せる岩がブカブカと崩れそう。恐ろしい道だ。

辟易として大分たち、黒部川の川筋が見えてきた。ここからも長い。
やがて、仙人谷ダムの湖面が見えてきた。足のつま先と言うか、足の指全体が痛い。嫌いな収縮した皮の登山靴のせいだ。悲鳴を挙げるすんでで、仙人谷ダムに到着した。


堰堤から、ダムの施設に入る。

ダム内のトンネルを行く。硫黄の臭気と異常な熱風が通り過ぎる。高熱遂道とはこのことか!
途中トロッコ電車などが見えるが、おいらを乗せるような親切心は無い。
地上に出ると、関西電力の巨大な寮があった。寮の芝生で、昼飯を食う。
地上に出ると、関西電力の巨大な寮があった。寮の芝生で、昼飯を食う。
ここから、再び大きく登り返し、水平歩道に出なければならなかった。旧道の方がよほど楽だった。(事情通によると、旧道は残雪の影響をモロに受け、危険であること・保全が大変なこと、により廃道になったらしい。新道も危険度・保全性ともあまり宜しくないと思うが。)
水平道をトボトボ歩き、またまた急降下すると、本日の野営地阿曽原温泉に到着した。
水平道をトボトボ歩き、またまた急降下すると、本日の野営地阿曽原温泉に到着した。
テントを張り、ビールを飲み、一眠り。起きると、すさまじい状態でテントが張り巡らされていた。オソロシや。日が暮れて、ビールを飲み、早々に寝袋にもぐり込んだ。
9/22
未明から、外が騒がしい。朝三時だった。
前日、小屋には、「欅平からのトロッコ電車は、午前中に到着しないと乗れない」旨の張り紙がしてあった。皆、先を急いで出発している。すでに遠くに懐中電灯の灯りが列を成して移動しているのが見える。おいらも急がねば。
未明から、外が騒がしい。朝三時だった。
前日、小屋には、「欅平からのトロッコ電車は、午前中に到着しないと乗れない」旨の張り紙がしてあった。皆、先を急いで出発している。すでに遠くに懐中電灯の灯りが列を成して移動しているのが見える。おいらも急がねば。
でも、タバコを吹かしたり、コーヒーを飲んだり、ぐずぐずしていた。ポツリと額に冷たいものが。誰かが、「雨だ!」と叫んだ。
幸い小雨はすぐにあがった。おいらもヘッドランプに灯りを燈し、出発。水平道への登りでやや渋滞気味。換え電池を忘れていたおいらは灯りを消し、人の灯りで歩く。志合谷のトンネルで電池切れはシャレにならないから。
行列も水平道に移ると解消。その頃には明るさも増し、ヘッデン無しで歩けた。単調な道を延々と歩く。

やたらとザックを岩にぶつける。ついでに頭もぶつける。

水平歩道は延々と続く。
志合谷を通過。まだまだ先は長い。
前を歩いていたオヤジが突然止まり、おいらにこう言った。「この道は、欅平に行く道でしょうか?」、「えっ。」、「余りに長いもので・・・」、おいらは怒りを顔に出さずに、「そうですよ。」と親切に答えてあげた。
4時間の後、ようやく見覚えのある鉄塔に着いた。一休みしていると続々と人が道を降りていった。ギクシャク下っている人もけっこういらっしゃる。おいらも、あんな歩き方をしているのだろうなぁ~。つらそうだなぁ。
下から聞こえた汽笛を合図に腰を上げた。ここからは急降下だ。足の指ゆびが再び悲鳴を挙げる。これ以上ないギクシャクさで最後の下りを踏ん張る。若者が、登ってきたので、「欅平の駅は混んでますか?」と聞くと、「こんな時間に降りてきて、混んでるに決まってるやないか!」と怒られた。「ムムムッ。」けっこう頑張ってきたつもりなのだがなぁ・・・。
欅平の駅舎に着くとアッサリとトロッコに乗れた。但し特別車両代プラス500円を支払って。特別車両に乗り込んだのは、薄汚い山屋ばかりだった。一般車両には、観光客という、異常な世界が繰り広げられていた。各駅ですれ違う列車は観光客を満載していた。彼らが、復路の予約券を持っていれば、確かに午後の便に乗ることは不可能かもしれない。
宇奈月、魚津、越後湯沢の乗り継ぎは恐ろしいほどうまく、陽の高いうちに帰宅してしまった。
予想を上回る好天に恵まれ、期待通りの山旅となった。
ただ、体力の衰えは目を覆うばかりであった。特に、重荷での下りはこたえた。だから、余計に今回の山旅は・・・。
ただ、体力の衰えは目を覆うばかりであった。特に、重荷での下りはこたえた。だから、余計に今回の山旅は・・・。
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