山行日:2009.3.28
目的地:四阿山
コース:あずまや高原ホテル前(9:00)~牧場下(10:15)~2140m露岩地帯(11:40休)~四阿山(12:50)~牧場下(14:00大休)~あずまや高原ホテル(15:00)


ETC1000円乗り放題の初日。ETC車載器が入手できず、泣く泣く出発。

四阿山は15年ほど前、異常な寒気と吹雪で敗走した山だ。今回は雪不足の心配をしながら一応出かけてみた。

長野道からは雲が多いながら、取り敢えず晴れというような微妙な天気だった。浅間山が純白に見えほっとするのもつかの間、進むにつれ、山から雪は減っていった。
上田・菅平IC直前から見た四阿山には雲がかかり、期待できそうも無い。取り敢えず登山口まで行ってみることにする。
あずまや高原ホテルの取り付き道から、いくらか雪が見え始めた。ホテル手前には、無料駐車場ができていた。雪は無い。かつては、こんな施設が無く、人には言えないような所で一夜を明かしたものだった。あずまや高原ホテルさんありがとう。
ホテルの先に、牧場に続く道があった。ここには薄皮一枚の雪があったので、取り敢えずスキーを着けて出発した。今日はノッペリした山なので、高度計の針を標高に合わせた。


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しばらく行くと看板があった。取り敢えずカモシカ・キツネコースを選択する。

さらに行くと牧場の手前に出た。牧場には入らず、牧柵に沿って左折した。少し行き、四阿山→の標識に従い牧場に入った。

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牧場からは左に根子岳、右に四阿山が見えた。

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浅間山も見えた。

牧場の中の並木道を登った。

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雪面はシュカブラとなっている所があった。帰りが思いやられる。


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何と言う山だろう。雲は多いが、どう言う訳かこの近辺だけ晴れている。上田の町はどんよりと曇っている。


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登りシュプールを振り返る。登りのシュプールの美しさには自信がある。


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浅間山から噴煙が上がっている。噴煙は大きくなったり小さくなったりしている。噴煙の影響か、山肌が黒く汚れている。嬬恋のキャベツ(レタス?)畑が美しく見える。

牧場が終わり、やや密な樹林を登る。雪は増え、スキーを滑らすのには問題なさそうだ。
先行者の足跡が現れる。ツボ2名。ショートスキー1名。3名とも躊躇無いコース取りをしているのがよく分かる。だから、トレースをいただいた。

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やがて露岩が現れ、小休止する。高度計は2140mを示していた。菅平か峰の原のスキー場が見える。


露岩地帯より上に行くと樹氷が現れた。

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針葉樹林となり、樹氷が美しい。


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3月末の樹氷は貴重だ。

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ようやく山頂らしき姿が見えてきた。

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根子岳に続く尾根に出ると、山頂から3人が降りてきた。一人はスキーで滑降している。


ショートスキーヤーとは間も無く対面。なんでも浅草岳に行く所を天気の良さそうな四阿山に変更してきたのだそうだ。おいらも守門岳を変更してここに来ていたのだ。おいらが、「ここは初めてです。」と言うと、「滑りやすく楽しいコースがあるので、シュプールを付けておきますよ。帰着はあずまやホテルで。」と言って華麗に滑り降りていった。


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山頂真近。おいらは山頂直下にスキーをデポした。


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山頂到着。本当の山頂は目の前の雪庇上。雪庇恐怖症のおいらはここを山頂とした。

山頂で一服しているとあっという間にガスッて来た。

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根子岳がガスに覆われ始めた。万座に続く尾根はすっかり雲の中。そして、小雪がちらついてきた。

シュプールが、消えたら一大事。すぐに下山にかかる。
スキーデポ地でスキーを着け滑りだす。雪は重くママならない。ショートスキーのオヤジの美しいシュプールをおいらの野太いシュプールが汚していく。
ふと脇を見ると2人組がツボで下っている。不恰好なプルークボーゲンのお披露目だ。仕方が無い。
一時間足らずで牧場下部に降りついた。ここで、遅い昼飯とした。幸い雲は取れ、どんどん青空が広がる。

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再び青空となった山々。


昼飯を食い終わり、オヤジのシュプールを追う。所がどうしたことか、シュプールは雪の無い、笹の中を突っ切ること限りなし。おいおい、と思ったが、山は自己責任の世界。人を恨んではいけないな。などと思いつつ最後は牧柵を乗り越えて帰着。
オヤジの姿は無かった。
取り敢えず、15年目にようやく四阿山に登れたことは良かったし、樹氷が美しかった。


帰りは、温泉なんぞには見向きもせず、思わず砥石城跡に寄ってしまった。急登の連続で足にきた。武田信玄最大の不覚「砥石崩れ」もなるほどと思わせる城だった。


ETC1000円乗り放題の高速道路は、予想に反し、たいした渋滞も無くすんなりしたものだった。ただ、東松山ICで多くの車が降りていた。一般道はどうであったのだろうか。