山行日:2009.3.15
目的地:旧定峰峠から金尾山
コース:経塚(7:40)~旧定峰峠(8:20)~大霧山(8:50休)~粥新田峠(9:30)~二本木峠(10:30)~愛宕山(10:05)~皇鈴山(10:50)~登谷山(11:20)~釜山神社(11:40)~釜伏山(12:00大休)~塞神峠(13:00)~仙元峠(13:05)~葉原峠(13:30)~長瀞カントリークラブ(14:00)~金尾山(14:30休)~波久礼駅(15:10)
目的地:旧定峰峠から金尾山
コース:経塚(7:40)~旧定峰峠(8:20)~大霧山(8:50休)~粥新田峠(9:30)~二本木峠(10:30)~愛宕山(10:05)~皇鈴山(10:50)~登谷山(11:20)~釜山神社(11:40)~釜伏山(12:00大休)~塞神峠(13:00)~仙元峠(13:05)~葉原峠(13:30)~長瀞カントリークラブ(14:00)~金尾山(14:30休)~波久礼駅(15:10)
今日は、奥武蔵第一列目の山々の北端に行った。
東武東上線の車窓からは、富士山がくっきりと見えた。それに、奥多摩の大岳山、御前山が、奥武蔵の山を威圧するように立派に見えた。
東武東上線の車窓からは、富士山がくっきりと見えた。それに、奥多摩の大岳山、御前山が、奥武蔵の山を威圧するように立派に見えた。
小川町駅からイーグルバスに乗り込んだ。他の登山者は殆ど橋場で下車。経塚で下車したのはおいらだけだった。
暗い杉林の中を登っていると、おいらの高感度花粉センサーが警報を鳴らす。クシャミ百連発である。人が居ないのを幸いに手鼻で鼻水を飛ばす。
ほどなく旧定峰峠に到着。山道を北上する。
右手に牧草地と思われる所にさしかかり、少し急登すると大霧山に着いた。
暗い杉林の中を登っていると、おいらの高感度花粉センサーが警報を鳴らす。クシャミ百連発である。人が居ないのを幸いに手鼻で鼻水を飛ばす。
ほどなく旧定峰峠に到着。山道を北上する。
右手に牧草地と思われる所にさしかかり、少し急登すると大霧山に着いた。

大霧山はすばらしい展望の山だった。特に北から北西の展望に優れている。
見えた山は、数知れない。武甲山、酉谷山、雲取山、芋の木ドッケ、甲武信岳、両神山、二子山、御荷鉾山、榛名山、赤城山。そして白く輝く赤岳、蓼科山、浅間山、草津白根山、日光。
秩父盆地も明るく見える。
秩父盆地も明るく見える。

長居したいところだが、これから辿る尾根は緩やかだが長い。先を急ぐことにする。
粥新田峠には、あっさり着く。

粥新田峠の地蔵尊。秩父事件と関係あるらしい。

粥新田峠からは車道歩きが長いが、埼玉県秩父牧場の中で明るく伸びやかな風景が続き、飽きることが無い。牧場の施設に立ち寄ったりしているうちに時間が押してくる。

春の花と笠山

のどかな牧場。埼玉県のイメージとはかけ離れ、エキゾチックな雰囲気。

牧場より大霧山を振り返る。牧場は大霧山から続いており広大だ。
二本木峠より再び山道に入ると、すぐに愛宕山に着いた。

愛宕山山頂には天文台風のドームがあった。鍵がかかり入れない。
小さく下り、車道を横断し少し登ると、皇鈴山の広い山頂に着いた。最高点はアンテナの鉄条目に占められていた。

皇鈴山の広い山頂。雑木に覆われているが、樹間から北関東の山々が望まれた。

樹間から浅間山が。タバコを吹かしていた。
次のピークは登谷山だ。ここにもアンテナがあるが、眺めはすこぶる良い。昼飯にしようと思っていたところ、写真家が登ってきて「なぁんだ、大した眺めじゃねーなぁ~。」と嘆いている。それでも三脚を立てだした。なんだか、いたたまれなくなり、飯を食わずに先に進んだ。

登谷山山頂の先より。恐らく草津白根山。右は横手山ではないだろうか。この程度の眺めでも、おいらには充分満足できる。

同じく、日光男体山。残念ながら霞がかかり不明瞭だ。
登谷山を下るとまたまた車道にでる。

しかし、ついに荒川が姿を現した。写真では分からないが、荒川の水面が輝いていた。そして最上流部の甲武信岳、三宝山などが遠望できる。
釜山神社の参道から山道となる。

参道には釜型の灯篭が。
社の左手から釜伏山に向かう。蛇紋岩の山らしい。緑色の岩の急斜面を登ると狭い山頂に着いた。ここで、昼飯とする。
名水に行きたかったが、「土砂崩れの危険有」との事で立ち入り禁止。山頂から少し戻り、またまた車道へ。車道・山道とめまぐるしく変わる。塞神峠、仙元峠、葉原峠を過ぎ
る。
葉原峠でミスを犯した。標識に金尾→と小林→とあったが、最終の金尾山の意識が強く、何の考えも無く小林へ向かうべきところを金尾に向かってしまった。途中で気がついたが
、地図を見ると金尾山に続く道なのでそのまま進んだ。
しかし以外にも道は途中で無くなった。周りを見るとゴルフ場が見えたので、わずかに藪を掻き分けた。長瀞カントリークラブとあった。
ついている事にゴルフ場からの道を真直ぐ下れば金尾山に行ける。シメシメと思いながら下る。
寄居の町が眼下に見えてきた。
る。
葉原峠でミスを犯した。標識に金尾→と小林→とあったが、最終の金尾山の意識が強く、何の考えも無く小林へ向かうべきところを金尾に向かってしまった。途中で気がついたが
、地図を見ると金尾山に続く道なのでそのまま進んだ。
しかし以外にも道は途中で無くなった。周りを見るとゴルフ場が見えたので、わずかに藪を掻き分けた。長瀞カントリークラブとあった。
ついている事にゴルフ場からの道を真直ぐ下れば金尾山に行ける。シメシメと思いながら下る。
寄居の町が眼下に見えてきた。

中央の薄茶色の筋は寄居町の鉢形城跡に違いない。
広い道を渡ると、地図とは違う方向に金尾山登山口が見えた。
僅かに登るとツツジの斜面となる。ツツジを掻き分け登ると、ついに奥武蔵第一列目最北端の金尾山に到着した。
僅かに登るとツツジの斜面となる。ツツジを掻き分け登ると、ついに奥武蔵第一列目最北端の金尾山に到着した。

金尾山山頂から寄居の町を眺める。別名要害山。鉢形城の支城。残念ながら、ここから鉢形城は確認できなかった。

ツツジの蕾は、すでに膨らみ始めていた。
今年になって歩き始めた奥武蔵第一列目の山々。西武鉄道高麗駅から秩父鉄道波久礼駅まで、3日間に分けて歩いた。車道歩きが多いことは分かっていたが、それにしても多かった。しかし、新たな興味を持たせてくれた山々であった。
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